色褪せぬまま 見上げ歩くよ

煌びやかな世界の端っこ

幸せから一番遠いところに居た話

 

8月30日にきたえーるから始まったラブセンpresents V6 LIVE TOUR 2015 SINCE1995 FOREVER がV6のデビュー日である11月1日に、V6のデビューした場所である国立代々木競技場 第一体育館*1で幕を閉じた。コンサートは約3時間で、シングル約46曲*2を踊り続けたV6の20周年を記念する素晴らしいコンサートだった。

このデビュー日でもあり最終日だった11月1日の公演には代々木の収容人数13,291人に対して、ドームでも出来るくらいの申込みがあった。*3でも代々木にこだわった。誰がこだわったのかは言っていなかったけど、代々木を聖地と呼ぶファンと同じく6人がこだわったのなら微笑ましいと思っている。

 

さて、私が今回初めてのコンサートに行って楽しかった思い出を書き綴る前にキーボードを叩いているには理由がある。

www.excite.co.jp

11月1日に行われた公演の「音漏れ参戦」についてだ。

 

結論としては僻みに聞こえるかもしれないけれど、まぁ言わせてくれ。言わないと気が済まなかったんだ。11月1日からずっと引きずったままだったんだ。どうにか形にして自分に納得をつけたい・諦めたい・こういう意見もあったんだと残したいだけなんだ。

 

※演出のネタバレを含みます。

 

 

11月1日。

私はこの公演のチケットを持っていなかった。すっごく行きたかった。何故か申し込む前から行けるものだとずっと思ってた。結果はチケットは落選し、チケットも交換できず、手元に11月1日のチケットが無いまま私はデビュー日を迎えた。TwitterではV6おめでとうの文字が並び、胸を熱くし、最近涙腺が弱いせいでうるうるしていた。初めてのコンサートである10月29日の代々木公演の最後に「俺たちが〜」と井ノ原さんが声をかけてメンバーもファンも嬉しそうに楽しそうに声と手を上げて「ぶいしーーーっくす!!!」ってひとつになるあの世界を思い出して、記念日である11月1日のコンサートに入りたくてたまらなかった。

 

私が代々木が見える例の歩道橋*4に立ったのは11月1日の11時1分だった。その時間帯から、少しずつ31日までの代々木と姿を変えた。まず、グッズを販売する時間と場所が変更され、V6のツアータイトルとロゴである看板の場所が移動されていた。そこで何か始まるんだろうとジャニーズに魅せられてから間もない私でも容易に想像できた。徐々に集まるファン。何の知らせもないのに、代々木がファンで埋め尽くされていく。私はその光景を歩道橋から見ていた。

13時を過ぎる頃には、私も代々木の広場の中に居て、何もわからないまま何かを待っていた。すでにファンの数は山ほどいた。何人かさらっと言えないが、とにかく居た。そこでやってきたつーこさん*5が話をしていた。

詳しくはさぁやさんのブログで把握していただけるとありがたい。

inunekobiyori.hatenablog.com

私はその何かを見ることなく、その場を去ったので代々木の広場に居たわけではない。記者会見があったらしい、その記者会見にたくさんの人が集まったらしい、11月1日の申込みが凄かったことをTwitterで流れてきた情報で知った。

 

そして、ラブセンpresents V6 LIVE TOUR 2015 SINCE1995 FOREVER の最終公演が17時に幕を開けた。代々木の空間に入れるのはチケットを持つ約13,300人のみ。ドームで出来るほどの人数の申込みがあったけれど、最終公演を見れたのはその中の一部だった。つまり、残りの大多数は代々木の会場に入れなかった。

公演が始まって、10分くらい過ぎたころ、私は代々木に居た。会場の中ではなく、外に。何をしに行ったかというと、グッズを買い足しに行った。その時点ではパンフレットをまだ読んでいなかったけれど、20周年の記念として作成されたものならきっと素晴らしいものだろうともう1冊欲しくなったのだ。

その時にはもう既に「音漏れ組」が居た。最初はコンサートが始まっているはずなのに、会場前に人だかりができている意味が分からなかった。人だかりの先に会場内にあるオブジェが置いてあるのかなと思い、私はその人だかりの先が見える場所へともぐりこんだ。見えた先には何もなかった。何もなかったから、人がたくさんいる意味がもっと分からなくなった。広場の近くにあるトイレに入り、出てきた頃にはもっと人が増えていた。その人々の手には、今回のコンサートグッズであるペンライトが握られていた。それを見た時、この人だかりの意味をやっと理解した。SPOT LIGHTの「4」という井ノ原さんの震えた声が微かに聴こえた。きっと岡田さんが井ノ原さんを持ち上げたんだろうなと思った。微かだったけど、中の声が聴こえたのだ。代々木は会場と入口の境目に幕を張っていないため、中の照明が様々な色に変わる姿も見ることができた。SPOT LIGHTの掛け声の部分で私の目の前で点滅する白いペンライトが左右に揺れた。 この人達は会場の音を聞いているんだ、と びっくりした。

ジャニーズのコンサートというか、コンサートに行ったことが無かった私だった。先にも書いた通り、初めてのコンサートは2015年10月29日のコンサートで、初めてなりにマナーを守ろうと色々と勉強してきたつもりだった。うちわの大きさ、高さ、髪を盛ること、露出の多い服はあまり好まれない。「音漏れ」という言葉を知ったのもその勉強した時だった。大きい会場だと音が外に漏れて聞こえてくることがあるのだという。それを会場の外で聞くことが音漏れだとなんとなくの意味で把握していた。芋づる式で、嵐の音漏れの話を目にした。

note.chiebukuro.yahoo.co.jp

音漏れってあまりいい事じゃないんだろうなと思っていた私は、11月1日にその現場を目にした。え、ダメなんじゃないの。すぐにそう思った。V6のファンはマナーがいいと言われているし私もそう思っているから、単純にびっくりした。人だかりを避けて、グッズを買い、パンフを手にして、もう一度人だかりを見た時、私はうーんと唸った。なんとなく、嫌な予感がした。友人に笑い話として「もしかして、井ノ原さんが客席登場の時に走って出てくるかもね」と冗談混じりに言った。勿論そんなことはあってほしくないと思っていた。

客席登場というものを説明すると、まず代々木の会場を想像してほしい。北と南の2階席の前に、トロッコが出現する。それにメンバーが登場し、2階と1階後列のファンと触れ合うという演出である。北と南で3人ずつに分かれ、半周した後、トロッコを降りて北の人なら南へ、南の人なら北へ自らの足で移動する。その時、まず最初に井ノ原さんがトロッコを降りて、猛ダッシュで移動を始める。スタッフからタオルを受け取って汗をぬぐい、足元をライトで照らされながら走る。井ノ原さんが例えば北から南へ移動し終わった後、南の長野さんと坂本さんが北へ移動を始める。そして長野さんと坂本さんが北へ来ると、森田さんと三宅さんが南へ移動を始める。最後に北に居た岡田さんが南に移動して、移動が完了する。これが客席登場の立ち位置交換だ。

その立ち位置交換の際、メンバーは会場の出入り口付近を走るのだ。付近といっても、5Mほどある。しかしやろうと思えば、外に出てくることは可能だった。だから、私は友人にそうならなければいいと思って「もしかして、井ノ原さんが客席登場の時に走って出てくるかもね」と言った。それが後に岡田さんの話につながる。

 

私は、グッズを購入してホテルに帰った。後ろ髪を引かれる思いではあったけれど、きちんとした手順でコンサートを楽しんでいる会場の中にいる人のことを考えると、音漏れ参戦する気にはなれなかった。ただでさえコンサート自体の倍率も高く、入れない人も居て、最終日の公演の倍率はそれ以上に高かった。それを考慮してか、V6は最終日の公演をDVDが発売する前に、WOWOWで放送することを10月2日に発表していた。今見れなくても12月になれば見れると信じてホテルに帰った。

ホテルに帰って、コンビニでお酒と甘いものを買った。デビュー日を祝うために。疲れた体を癒すためにお風呂に入って、お風呂から出てTwitterを開くと唖然とした。スタッフが音漏れ参戦している人の為に扉を開けて中の音をわざわざ聞かせてあげたのだという。まじか。一言目はそれだった。記念日でもあり、倍率が高かった。入りたくても入れな人たちがいた。居ても立っても居られずその場に居たいと代々木に集まった人たちが大勢いた。その人たちの為に、スタッフは会場の扉を開けたのだという。私が代々木を去った時は数百人しかいなかったファンの数が、Twitterで現地の様子として流れてくる写真にはその数十倍以上の人が写っていた。翌日の報道によると1万人を超えたらしい。数百人だけだったものが、Twitterの実況や現地にいる友人たちの誘いで膨れ上がったのだろう。

もう、なんていうか……笑った。嬉しくてとかその心遣いに感動してとか、そういうのじゃない。あの一瞬私の心の中を占めたのは冷めた愛だった。数秒前までファンが、スタッフが大好きだった。それなのに、音漏れの為に開かれた扉からは、岡田さんが出てきた。アンコールで岡田さんは「ちょっと外に出てくる!」と言ったまま、外まで走ってきた。走ってきて、手を振って、自分の持っているタオルを投げた。本心を素直に表すと、意味が分からなかった。お金を払って狭き門をくぐれた人たちに対するファンサービスを、お金を払っていない音漏れの人達にしたのだ。

 

記念日で入りたくても入れない人がいた、スタッフもファンのマナーを信用しているから扉を開けた、岡田さんを含めV6も外で音漏れを聞いている人々がたくさんいることを知っていた。20年間でメンバーとファンとスタッフの間の信頼関係があったからこそ、「神対応」とも言われることになった会場の扉を開けることに繋がったことも分かっている。そこまで信用していただけることはこの上の無い幸せだと思っている。

 

けれど、マナーを守って帰った人は、家で最終日が何事もなく終わることを願った人は、チケットを手に入れられず諦めた人は、どうすればよかったのだろうか。その信頼の上に成り立ったスタッフの優しさと岡田さんのファンに対する優しさを、私はどう受け止めればよかったのだろうか。

 

Twitter上では様々な意見を見た。「今回のスタッフの対応は特別である」「次があるとはみんな思っていない」「今回の音漏れはファンが積み上げてきた信頼感があったからできたもの」「20周年だからスタッフとメンバーが今回は許してくれた」

その意見の殆どに、私は「わかる」と答えたい。記念日で倍率が高くて入れなかった人たちがたくさんいたこと、これまでV6を応援してきたファンの皆さんが積み上げてきた信頼感があるからできたこと、スタッフもそれを理解して優しさで扉を開けてくれたこと。分かる。分かるんだよ。

でもね、マナーを守った人たちだっていたんだ。我慢して終わることを待っていた人たちだっていたんだ。「今回限り」の音漏れを「今回だから」納得できない私がいるんだ。

 

僅かに聴こえるメンバーの歌声、楽しそうにファンを煽る声、様々な色に光るライトと、それに呼応するように光るペンライトと嬉しそうなファンの声。あの会場に入れたらみんなが幸せだっただろう。でもそれは出来ないことで、その上でみんなが幸せな11月1日で終わるようにと行われた優しさが、私は未だに飲み込めない。物わかりの悪い僻んでいるだけの私の意見だけど、あの瞬間、私は11月1日なのにとても悲しくて、幸せから一番遠いところに居た。

 

11月1日を祝うために買ってきたお酒は、自分の心に芽生えた感情を忘れるための手段でしかなく、ツアーパンフレットに書かれた森田さんの「V6のファンは最強です」の言葉に泣いた。そんな1日だった。

 

 

*1:以下、代々木

*2:最終日である11月1日は48曲

*3:同日に行われた記者会見前につーこさんが発言した

*4:V6のデビューイベントを開催した際に周辺道路までファンがあふれ返り「歩道橋が揺れた」という伝説が残っている歩道橋

*5:ファンを仕切ってくれる方